Bateau-Lavoir

対談連載「バトー・ラヴォワール」

Vol.2 尾上松緑さん〈前編〉

KATSUMATA JAPAN officeの勝又美孝が親交の深い方々をお呼びして、主に仕事についてのお話をうかがう連載企画。第2弾のゲストは藤間流家元・六世藤間勘右衞門として日本舞踊の世界でも活躍しながら、メディアに出ることはあまり多くない歌舞伎役者の四代目尾上松緑さん。実は20年来の飲み仲間であるという勝又が、お酒の場でのマル秘エピソードから仕事への思いや喜び、あるいはそれらの活動を支える癒しの存在にまで迫った。

「『笑っていいとも!』に出させてもらったときも、 当日の朝8時までみんなで一緒に飲んでたよね(笑)」

「『笑っていいとも!』に出させてもらったときも、当日の朝8時までみんなで一緒に飲んでたよね(笑)」

愛するお酒がとりもった世界の違うふたりの縁

勝又(以下K) 20年くらい前に出会って当時からよく飲んだよね。

尾上松緑(以下S) 会うのは5年ぶりくらい?

K もうちょっと経ってるでしょ?

S まあでも、78年かな。基本的には酒飲み友達。

K 私の知り合いがやっていた神楽坂の某焼酎バーで出会って。いまはもうないけど。

S グループ同士で自然と意気投合して、気づいたらって感じ。

K 何度かみんなでご自宅までうかがったり。

S それ以降もやりとりはあったけど、いちいちプライベートの報告までしないから、最近になって離婚したんだって驚かれた。もう45年前だから(笑)。

K ここ数年はわりと疎遠な期間だったかもね。

S 出会ってから10年くらいは結構なペースで飲んでたね。

K 役者仲間が集まってご飯を食べたりする中に、関係ない私たちグループがひょこっといる感じとか(笑)。私にはすごく新鮮で楽しかったのよね。

S 仲良くなったのはサッカーの話がきっかけだった気がする。僕はいろいろなところで飲むけど、神楽坂というのはもともとテリトリーではなくて。でも、いい焼酎を揃えているお店があるって、同期の役者が連れてってくれて。女性3人で切り盛りしていたけど、お客さんだった勝又さんも含め、僕らにも普通に接してくれるからすごく居心地がよかった。

K 私はもちろん役者だと気づかず、やたら飲んでて声が大きい人がいるなと。で、お店の人を介して話してみたら歌舞伎役者で、マジかって(笑)。でも、最初から変な壁もなく、お酒を飲みながら知り合えたので、本当に自然な出会いだったかと。

S 芝居関係ではない、いわゆるOLのお姉様方と知り合うことなんてほとんどなかったけど、僕らをニュートラルに受け入れてくれて。公演の多い銀座から帰るには遠回りになるんだけど、でも、ちょっとだけ寄るかって行くと勝又さんたちもいたりして、そうなるともう朝までコース。お店の人たちも一緒になって別のところへ飲みにいったり。

K 私としてはやっぱり、役者さんと普通にお酒を酌み交わせる楽しさがあったね。合いそうな人間がいればお互い紹介したりもして。

S 僕はわりと家庭の不満とかを聞いてもらったかな。相談というより話を聞いてもらう感じ。「でも、そりゃあんたが悪いよ」くらい言ってもらえれば(笑)。

K 年上っていうのもよかったかも。

S それはある。子供のころからずっと年上の人に囲まれてるし。いまはもう46歳だから後輩たちも増えてるけど、やっぱり年上の人といる方が気楽。

K いま振り返るとすごいご縁だけど、当時はそんなことを知る由もなく、ひたすらワイワイ飲んでたね。

S 連絡を取り合って集まるときもあれば、行けば誰かいるだろうって感じで会うときもあり。

K そんなんだから、小さな事件はいろいろとあった気がする。あまり覚えてないけど(笑)。

S 一度僕が『笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」に出させてもらったことがあって、朝10時くらいには(スタジオ)アルタに入らなきゃいけないんだけど、その日も朝の7~8時までみんなで飲んでたという(笑)。寝ずにいい気分のまま番組に出て、タモリさんからお酒の話を振られたから、実はさっきまで飲んでましたって(笑)。

K あった、あった(笑)。

S 最初から明日は『笑っていいとも!』だから8時くらいまで飲めるぞと(笑)。

K 確か私は家で観たよ。さっきまで飲んでた人が出てるって(笑)。お互いお酒は強かったよね。

S そのときもお酒は残っていたけど、まあ、我を忘れるような飲み方はしないから。

K でも、なかなかない経験(笑)。だから、今日みたいな形で改めて会うのは新鮮(笑)。

S アルコールなしで会うことがまずないし。素面でちゃんと話をするのはひょっとしたら初めてかもしれない(笑)。

どんな職業であろうと祖父や父と同じ道に

K ここからは仕事の話を聞きたいんだけど、まず、いまの道に進んだ経緯はどういうものだったの? もちろんお祖父様やお父様の影響があるとはいえ、お父様からは好きにすればいいと言われてたんだよね。

S 祖父と父のことはとても尊敬していて、及ばずながらそういう風になりたい、後を追いたいという気持ちから始まっている話なので、もしふたりが歌舞伎役者じゃなければ歌舞伎役者じゃなかったと思う。たまたま歌舞伎役者であり、日本舞踊家であったということ。

K そうだったんだ。それは知らなかった。

S いまとなっては責任がある反面、やりがいのある仕事だと感じてはいるけど。それに、子役からずっとやっているので、気づいたときにはこれしかもう選ぶことができなかった。ほかには何もスキルがないから、これで一生やっていこうと腹を決めたところもある。いまはこういう時代だから、合わないとかほかにも道があるとか言って辞めていく子たちもいるけど、仕事ってそれを生業として生活をしていくわけなので、自分にはこれしかないと思うところから始めないと。

K 一理あるね。

S 責任の所在は自分にあって、これが自分の仕事だということを肝に命じた上でやっていかないと、我々なら周りにスタッフさんもお客さんもいるし、そういう人たちに失礼に当たるから。何かをやる上で発展していくというのはあれ、初めから逃げ道を作るのは仕事への責任を放棄しているということ。だから、僕にはこれしかないと思ってる。

K それはすばらしい。

S もちろん舞台に出てお客さんに喜んでいただき、やった甲斐があると思うことも多くあるけど、お金をいただくということは責任が伴うもので、ものすごいプレッシャーも感じるし、表に見えない政治的なこともあったりする。自分自身の中ではこれを一生やっていくと考えていて、それ以外の道はないと言い切れるけど、歌舞伎と日本舞踊が好きかって言うとそれはまったく別の話で、好きではあるものの同じくらいこわく、憎しみなんかが湧いてくることもあるんだと。

K  深いな(笑)。この家に生まれたとはいえ、腹を括ってやってるんだね。

S 好きだけでやるなら、趣味としてやればいい。それがいちばんいいと思う。こんな僕にもいまは弟子が何人かいて、歌舞伎が好きだからと来た子たちにも、そのまま好きでいたいなら観てるだけにしておいたほうがいいとは言ってる。

K ほう。

S 同じことは息子にも言える。いま1415歳でやる気になってはいるけど、舞台に出てお客さんに喜んでもらってうれしいと思えることが100あるとするならば、つらいことは1万あると思えと。

K 聞いているこっちまで背筋が伸びます(笑)。

S それでもやっていくつもりなのかと聞いたら、やっていきたいとは言うものの、僕が父親に言われた通り、ほかにやりたいことがあるなら無理に歌舞伎役者を選ばなくていいとは伝えてる。いまのままなら彼は歌舞伎役者をやっていくでしょうけど、選んだあとになってやっぱりほかの仕事がいいとか、また歌舞伎に戻りたいといか、そういうことは絶対に許さない。

K 若いときってなかなかそこまで先のことを考えたりできないけど、それでも若くして腹を括っていたのはすごい。

S それは腹を括らざろう得なかったというか、父親が早く亡くなったというのもあるけど、自分もわりと早く結婚して、27歳で娘が生まれ、29歳で息子が生まれ、好き嫌いの否応に関わらず、責任というものが次第に増していって。

K 私はそうしたことも考えず、いつの間にか30数年(笑)。でも、私もこの道しか進みようがなかったという思いはある。興味があることをやりたいってところからファッションを仕事にして、お酒とかほかのことに興味が向かったこともあるけど、結局は同じことを続けてきたし。

S 僕の場合は歌舞伎役者であろうが、パイロットであろうが、教師であろうが、サラリーマンであろうが、父親があの人であり、祖父があの人である限り、同じ道を歩んでいただろうと。もし父親と祖父が違う人であったらと聞かれれば、それはわからない。

K お父様とお祖父様を尊敬するのはどういった部分?

S 子供のころふたりの楽屋に行ったとき、舞台に出ている姿、端的に言うと仕事している姿がかっこよかった。そういう風に思ったのがいちばん。それは人間だから、舞台から降りてひとりの人間として見れば、たくさんの欠点を持つ人たちではあったけど、仕事をしている姿がかっこいいと本来ならマイナスになるようなポイントも美点として見えてくるというか。こういう大人になりたいとはずっと思って育ってきた。

K そろそろ近づいてきてるんじゃない?

S いやいや、足元にも及ばない。父は40歳で亡くなっていて、自分はその年齢を超えてるけど、死ぬ直前の父は芝居的にも人間的にも自分より成熟していたと思う。なので、息子には僕を見習うな、君のお祖父さんやひいお祖父さんを目指して勉強しなさい、そのためのフォローはいくらでもすると言ってる。自分の息子ではあるけど、父や祖父から預かっているという気持ちが強い。

K なるほど。今日はすごい話を聞けてる気がする(笑)。(後編に続く)

舞台の仕事から得られる喜び、経験を重ねてたどり着いた境地、はたまた、癒しとなる愛しのペットのことや今後の展望についてのお話をうかがった後編は75日公開予定

尾上松緑(おのえしょうろく) 19915月歌舞伎座で二代目尾上辰之助襲名。200256月歌舞伎座で四代目尾上松緑襲名。古典を重んじながらもさまざまな役に挑戦し、舞踊家としても祖父や父の後を継ぎ、1989元年6月に藤間流家元・六世藤間勘右衞門を襲名。
http://shouroku-4th.com

勝又美孝(かつまたみたか) 
1998
年、SOPH.の立ち上げメンバーとして広報に就任。スタイリストへのリースやメデイア対応、販促物制作を通してブランドイメージの確立に寄与した。2020年にマネージメントやPRを業務とするKATSUMATA JAPAN officeを設立。

Photography  FUMIHITO ISHII
Text  YUSUKE MATSUYAMA