Bateau-Lavoir

対談連載「バトー・ラヴォワール」

Vol.3 陵本望援さん〈後編〉

KATSUMATA JAPAN officeの勝又美孝が親交の深いゲストを招き、仕事のお話をうかがいながら人生について考える連載企画。第3回はMAISON MIHARA YASUHIROなどを擁するSOSUで長く営業や広報を務め、後年は社長としてもその手腕を発揮した陵本望援さん。オンラインセミナーやインテリアなど幅広く事業を展開する陵本さんの「修羅場しかなかった」過去から「道が開けた」現在の話には、生きるためのヒントがそこかしこに。

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「これからは思ったことやらな。考えたらあかん。 直感がすべて。そのコンパスに従っていけばいい」

「これからは思ったことやらな。考えたらあかん。直感がすべて。そのコンパスに従っていけばいい」

綱渡りのような状態の連続だったSOSUの約20年

勝又美孝(以下K もともとのキャリアはどういうスタートだったんですか。

陵本望援(以下O いちばん最初は大阪で漬物屋のOL1年でお金を貯めてカナダに留学、帰ってから大阪と神戸のショップで働いたあと、オンワードのヴィア バス ストップに。そのあと阪神・淡路大震災が起きたんだけど、関西でいちばん売れていたお店の副店長だから東京に行かないかって声をかけてもらえたの。それがオンワードで初めての女性の転勤だったって。

K そんな時代。

O 来たのがラフォーレのバス ストップ。そこでユアンとか津野(貴生)くんとか市川実和子ちゃんとか、当時のそうそうたるメンツのモデルたちと出会って。大阪弁だったからか店長なのに研修生だと思われ、かわいそうってみんなが遊びに来てくれてた(笑)。その流れでやっちん(三原康裕さん)と知り合ったのよ。

K そこでつながるわけね。

O 営業やってほしいと言われたんだけど、最初は断って。絶対嫌やって(笑)。私はインポートが好きやったから。

K MIHARA YASUHIROを立ち上げて間もない頃ですよね。

O (井浦)新とかりょうちゃんにも私がやっちんを紹介して、あの子らが『smart』やら『non-no』やらでMIHARAの靴のことを話してくれて。そこからバーッと広がって知られるようになった。

K そういう流れだったんだ。

O で、いろいろあって、やっちんのところで働くことに。営業なんてやったことなかったし、すべてゼロから。当時は浅草の靴屋だったから、原宿でモデルを相手にしていたこととのギャップもすごくて(笑)。でも、服屋に売ると決めてからは、オンワードの全国の卸先を回ったり、ヴィヴィアンの展示会に呼んでもらってやっちんとふたりで名刺を配ったり。マルタン マルジェラのアクセルともそこでお互い辞書を見ながら会話して知り合った。アクセルはマルジェラを大きくしたあとバレンシアガの売り上げも400倍にしたという伝説の営業。そのあとMIHARAが海外に進出するときに助けてもらうことになるんだけど。

K そんな人とのつながりもあるんですね。

O PRの人が辞めたあとは私がPRまで兼任することになり、しきたりとか知らないから女性誌の編集部にはかなり怒られて。丸山敬太さんがブーブー言ってる編集者をなだめてくれてたって話もある。「何回あなたのことをかばったかわからない」って(笑)。

K メンズとレディースは違いますね。

O 営業とPRだけじゃなく、会社のことを全部やってたね。もともとはふたりだったから、給料の計算やら経理もやったし。

K それが2000年前後の話? そこからコレクションブランドに。

O もう死んだよ(笑)。いい思いなんか一度もしたことないから。いつも問題を抱えていて、本当に大変やった。

K MIHARAと言えば、プーマとのコラボレーションがエポックメイキングでした。

O あの頃もスニーカーがすごく売れていたから、それならコラボレーションしてスニーカーを作ろうと。プーマにはツテもないからお客様相談センターを通して何度も連絡したんだけど、一向に返事は来ない。でも、ある筋から先方の上の人間とつながることになり、それでコラボレーションが実現したのよ。くわしいことは言えないけど(笑)。

K 書かないから教えてほしい(笑)。

O それがまたすごく売れて。日本限定だったんだけど、ドイツのディレクターチームが日本に来たときに気に入って、本国とも契約をして世界で売られることになり。プレステのプログラムでプーマとコラボした衣装をピッティ ウォモで展示したり、ヴァージン・アトランティック航空のVIPラウンジをプーマと手掛けたりもして。

K そんなことにまでなってたんだ。で、陵本さんは最終的に社長にまでなると。

O 本当にいろいろな問題があったから。外部から社長を招いたら余計に大変なことになって、私は辞めるつもりだったんだけど、前の会社に相談に行くと「こんな状態で辞めるなんてとんでもない、お前が責任を取って社長をやれ」と言われ(笑)。経営の勉強しながら、各方面に頭を下げて回り、1年である程度まで回復させて。

K すごい。

O もう私がおらんでも大丈夫だろうという風になり、それでカフェ事業を持って辞めさせてもらった。2018年の3月。でも、それがあかんかったね。自分の見込みが甘くて。何度も自殺が頭をよぎったよ。

K 陵本さんはインスタでも過去のお話をしていて、その辺りのことも書いていますよね。

O そんなときに知り合いが砺波洋子先生を連れてきてくれたり。絶対会ったほうがいいと思うって。先生は滅多に外出しない人なのにカフェには来てくれて、私の顔を見るなり「大変だけど、絶対に大丈夫だから」って言ってくれたんだけど、救われたよ。

K 私もインスタで読んで気になるようになって。それで先生に背中を押してもらえた。

O カフェのほうはコロナの前から大変な状況で、去年の3月で店を閉めると決めてたから、コロナのときには従業員もおらず、お店だけが残って家賃だけしかかからなかった。

K これまたすごいタイミング。

O そうなん。全部タイミング。ほっといてもうまくいくようになってるのに、心配するからおかしくなる。人間ってもともと生まれてきたときはポジティブでも、いろいろな刷り込みがあってネガティブになるわけ。

K ほう。

O でも、本当は何にもせんでも流れに乗ってれば、うまいこといくんよ。海でも変にもがくから沈むんであって、もうええやと身を任せれば助かるっていうけど、変に力を入れたらあかん。

心に秘めていたカーペット展の開催で道が開く

K 陵本さんもいろいろ経験してその境地に達したと。

O 今回がいちばんデカかったんじゃない?みんな自分の可能性を閉じ込めてるんよ。本来はもっとやりたいことがあるのに、お金がないとかいろいろ理由をつけて自らやらないようにしてる。でも、本当はそれを開け放つととんでもない力が出る。

K わかる気がします。

O そのための潜在意識と顕在意識の統合ワークっていうカウンセリングがあるんだけど、それを受けたときに「店も閉めるし、思い残すことはないです」「いや、やり残してることがふたつありますね」「カーペット展とネパールでのヨガ修行」「どっちもやりましょう。やれば開けます」ってやりとりがあって。

K へえ(笑)。

O カーペットは数百万円するし、お店の解体費用として数百万円かかるからそれも残しておかなあかんし、でも、とりあえずカーペット展はやろうと。カーペットの到着が遅れたりしてお店を解約したあとの2週間、半分の家賃でやらせてもらったんだけど、その展示中にコンランショップがカーペットを置いてくれることになったり、部下が連れてきた人がそのあとそこでアートギャラリーをやることになったり、その間にいろいろ決まって本当に道が開けた。

K なるほど。

O そこからはとんとん拍子。だから、やりたいことをやるのが絶対にいいよ。自分を殺して生きてもいいことない。

K 心が思うままに。

O これからは心の時代。隠の時代から陽の時代に変わって、風の時代とも言われてるけど、自分らしく生きないと取り残されていく。

K いまの話を聞いて考えてみるといろいろ納得できます。

O やりたいことやらな。それをやるのがいちばんええで。私なんてふと思い出して、ずっとやりたかった極真空手もやってるから(笑)。仕事以外でいまいちばんハマってるのはそれかも。映画『マトリックス』観てから空手やりたいて気持ちがよみがえって、いまでは回し蹴りもできるようになったよ(笑)。

K すごい!

O だから、自分でも忘れているようなやりたかったことをやるのがいい。オンラインセミナーにはそういう子らに出てもらってる。心で動いてる子。例えばハッピーちゃん。こないだも8,800円で1,000人の人を集めてオンラインセミナーをやって、2,000人のホールでコンサートやってる子。3年前までは皿洗いをしてたのに、意識の変革をしたらあっという間にそうなって。

K では、最後に陵本さんの今後についてもうかがいたいんですが。

O 5事業を立ち上げると決めていて、それぞれのアイコンまで作ったよ。Ones TVに加えて、Ones The EarthOnes PhilosophiaOnes BeautyOnes TravelOnes Home。それぞれをちゃんと形にして、お金にして、会社にして、ホールディングにしたいなと。

K 一大事業。でも、もうそれぞれ確実に形にして進めていってるから、KATSUMATA JAPAN officeも見習わないと。

O これからは思ったことやらな。考えたらあかん。直感がすべて、直感がいちばんのコンパス。それに従っていけばいい。

K 頭ではわかるんですけどね。

O 政治家も行っている鏑射寺というお寺が神戸にあるんだけど、そこには空海の生まれ変わりと言われている和尚さんがいて、その人が言うには「時間なんてものはない、時間は人間が作った概念に過ぎない。思ったら来るのに来ないようにしているのは人間だ」と。だから、思ったらなるべくすぐにやる。できないなら捨てる。あとはヴィジョンだけしっかり持って。

K 成功するヴィジョン。いろいろ経験してきた陵本さんが言うと説得力がすごい。

O 私だってできてるんだから、みんなもなんとかなるんよ(笑)。

陵本望援(おかもとのえ) Maison MIHARA YASUHIROを手がけるSOSUを三原康裕とともに設立、広報や社長を歴任。退社後は自身の会社でカフェとレストランバーを経営したのち、現在はオンラインセミナーやインテリアをはじめとする複数の事業を展開している。

勝又美孝(かつまたみたか) 
1998
年、SOPH.の立ち上げメンバーとして広報に就任。スタイリストへのリースやメデイア対応、販促物制作を通してブランドイメージの確立に寄与した。2020年にマネージメントやPRを業務とするKATSUMATA JAPAN officeを設立。

Photography  KENTARO MATSUMOTO

Text  YUSUKE MATSUYAMA